子育て=親育て(半学半教)RD2994’s diary

息子へ伝えたいこと、自分に残したいことを、人生初めての日記

改めて身に染みる

すっかりとコロナ禍でのリモートワークや外食無しに慣れてきて、新しい生活リズムが出来てきた。

そんな中でもほぼ唯一出歩くのが、新入社員時代に同じ支店に配属された同期4人で四半世紀以上続いている飲み歩き。

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コロナ禍になってからは飲み歩きは出来ないので、同期のウチでおじさん4人で集まるのスタイルになった。

月に1回程度の回。そして、今回はすき焼きをやろうと!

おじさんが集まるとすき焼きが茶色い。

でも食事は見た目や味だけでなく、誰と一緒か、ということが大切だとはよく言ったものだ。正しくその通り。

アラフィフ4人となれば、それぞれが違う道を歩んできており、置かれている立場も、ここから見える先の景色も異なっていて当たり前。

でも、何の、駆け引きも気兼ねもなく付き合える仲間がいるありがたさが身に染みる。

 

それと、4人合わせるとほぼ200歳ともなると、見た目ほど肉は消費できないことも改めて身に染みた。

集まるとすぐに20代前半のノリで話がはじまるが、アラフィフの集まりであるファクトは変わらない。

 

この仲間との付き合いは、気がついたら半世紀を超えて、更に続いていることがイメージできる。世の中がどんなに変わっても、その状況下で付き合いが変わらない。こんな大切なものはそれほど多くは持っていない。

動き出す

息子くん、夏休みと言っても緊急事態宣言の影響もあり、友達と遠出するようなことも出来ず、地元でいつも通りに遊ぶ程度、オリンピックも多少はTV観戦するも、その瞬間の興奮だけで、通常番組を見ているのとさほど変わらぬインパクト程度で、印象に残るような経験、体験は何もなく折り返し地点を経過している。

僕の方も、在宅での仕事が完全に日常化され、仕事と散歩、ときどき読書かアマプラのみの生活。地元のスポーツクラブでのボランティアでの指導も、クラブ活動自体が休止中なのでほぼ刺激の無い生活。これはこれは嫌いではない。

コロナ禍になってから、新しい出会いもほとんどなく、仲間や偶然の出会いからの会話や雑談、議論などなく、何となく退化していく一方に感じる。実際に年齢も年齢で、老眼だ、腕は上がらない、膝が痛いなどあちらこちらにガタが出始めてきている1年でもあったし。

状況を考えて大きな刺激を取り込むことはできないが、ワクチン接種も済んだという事にも少し背中を押され、実に1年半ぶりくらいにサウナへと足を向けた。散歩圏内の場所で、久しぶりという事もあったので軽めの調整で、と思い入ったが、1セット目からかなりいい感じで、ほぐされた。ならばと、以前通りのルーティンで、しっかりと3セットこなして、さらに、翌日も通ってしまい、2日空けて、再び、地元の別の施設へ。

タイトル「動き出す」だと、何か大きな変化に思えるかもしれないが、本当に小さな日常を取り戻すだけで、少し自分を取り戻せた気がする。刻一刻と変化していくコロナには十分注意、対策を取っていくが、何もせずじっと籠って、ただ退化していくことはすべきではないなと少し思えた。

お祭りの第一部は終幕

つくり出されたような大団円の中、閉会を迎えたようにも見えたが、大会としてはしっかりと開幕し、閉幕した。

アスリートには様々な負荷があったであろうが、自己実現する機会が得られたことに喜んだ上で、その意味を噛み締めて欲しい。なにせ、世の中の子供たちは大会、発表会、修学旅行などメインイベントはおろか、練習や準備、夏休みの思い出作りすら取りあげられている最中の大会であったことは事実だから。

とは言え、アスリートたちの活躍には心を打たれたものも少なくない。そんな中、このスポーツイベントに関わっている人たちの中で目についてしまった残念なことがいくつかある。

 

まずは、メディアの準備不足。もしかして興味がない?と思えるようなレベルでの。

日頃からよく観ている競技だとはっきりとわかるのだが、アナウンサーが競技の表面的なこと(おそらく用意された教本の様なもの)がギリギリ頭に入っているか、いないか程度の知識の低さが目立った。開催が1年も遅れたので時間はいくらでもあっただろう。開催が決まったのは8年も前なのだから、興味が有れば少しでも身につけただろう、と思ってしまう。

新競技に関して、興味を持ち、一夜漬けでネットで勉強した自分の方がしっかり説明できる程度のもの(日本人選手個人の競技とは直接関係がない情報はアナウンサーの方が圧倒的に凄かったけど)もいくつか見受けて、これのレベルの低さは競技繁栄の妨げにすらなるな、と感じてしまった。

 

ちょっと別の切り口であるが、ある競技の準決勝を見事に勝って、その後にチームのHC(母国語が英語の方)が英語でインタビューを受けているのが流れた。この大会で有れば、公用語は英語、仏語だろうから、自然の流れだろう。

予期していなかったのか、同時通訳も入らず、もちろん字幕も出なかった。やりとりの内容はとてもシンプルなものであったが、インタビューの途中で映像が切れて、スタジオに戻った(HCのコメント、聞きたかった)。

そして、スタジオのアナウンサーの一言目が、インタビューが英語でした。すみません、びっくりしました。と!?

そして、元アスリートも含めて、いやー、全く分かりませんでした。アメージング、っていうところだけ聞き取れました。と、笑顔で発言。

国営放送で、この国の民度の低さをここまでアピールする意味があるのか?こっちがびっくりだ。

さらに話を逸らすと、日本のテレビでは良く外国語の発言に日本語の訳の音声を被せることが多い。時々後ろの英語がうっすら聞こえるので、録画しているものを何度か聞き返してみると、日本語の訳がかなりの拡大解釈によるもので、番組の流れには沿っているが、本人のニュアンスとは別物になっているものをしばしば見受ける。色んな意味で情けないメディア力だとかなり前から感じている。

 

そして、アスリートの中で個人の資質の差が出てしまった。無観客の中、当日に同会場で競技をしているもの同士が応援する姿は普通に見えていたが、大会終盤で自身の競技は終えて、まだ終えてない仲間の注目試合に顔を出しているアスリートがテレビに映るケースがあった。プロとしても活躍する有名な人物でもあるので、当然、カメラも画として抜く、それを呑気に、あっ、〇〇選手が応援にきてますね、と伝えるアナウンサー。

この競技には多くのファンがいる。会場で見たくて、チケット取ったけど無観客となり行けなかった人、チケット取れなかった人。自分たちの大会や練習は施設が貸し出してくれないなどの理由も含めて中止や延期になっている人。

仲間だから応援する、したい、気持ちは分かるが、自分たちが一生懸命にやっている競技を広めたい、アスリートとしてスポーツ、大会を通じて何かの発信源になりたい、と語っているなら、まずは自らの足元を見つめて、襟を正して、行動をして欲しかった。

アスリートは聖人君子である必要はないと思うが、負けていく、挫折していく、やりきれない思いをしている人の痛みをわかる人間であって欲しいと思った。

空気感

2019年9月中頃に記憶を戻す。

さらにさかのぼることほんの数年前には期待感ゼロ、マイナスであった、イベントの開幕直前、開催地にはそれなりの空気感があった。

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今日は不要不急では無い所用があり、大手町に来た。

暑いが、空は穏やかで、綺麗だった。

でも、残念ながら開幕直前の空気感はなかった。

これが悪かった、こうすれば良かった、ではなく、空気感がないことが1番気になる。

 

出る方も、支える方も、伝える方も、このために全力で頑張ってきた人達をたくさん知っている。これ以上は何事もなく始まり、終わることをただただ願う。

learning the hard way

今朝目覚めて最初に目にした情報が、熊本の大恩人の訃報だった。

「熊本でラグビーワールドカップ、やりたいな。でも九州には福岡があって、2002年での経験がある大分があって、スタジアム改修したばかりの長崎があって。。。でもやりたいな」
「じゃあ、やりましょうよ。本気でやりたいことはやれないわけないですから」
といいうのが出会って間もないころの会話。
RWC2019では、2002年やそれ以外のスポーツでの日本開催の大会との差別化するために(差別化しないと誰にも見向きもされない可能性があった)、九州に3つ開催地を置くことは、これまでの全国開催の概念としては新しい、九州であれば周遊観光での経済効果を生みやすく、スポーツ×観光で、国際スポーツイベント誘致の意義を示すこともできるとは考えてはいたので、軽口で言ったつもりはないが、熊本がやれるというイメージよりも、知り合ってまだ間もなかったけど、この人と仕事がしてみたいという感じでの発言だったと記憶している。

大先輩なのに、いつも場を明るくし、率先して動いてくれてしまう。僕がチカラになれたモノの数百倍も、数百回も、上回って手伝ってくださり、励ましてくださり、愚痴に付き合ってくださり、そばにいてくださり、とにかく、熊本に足が向く最大の理由だった。
出会いから1年位経ったら「お前はもう熊本の人間だから!」と笑顔でいつも仲間に入れてくださり、組織委員会の公式な会議などで、当時のスーパーボスから度々「こいつは、熊本びいきですからw」と紹介(冷やか)されることすら誇らしくも思っていた。

そんな方ともう会えないかと思うと心に何も浮かんでこない。
コロナだから、と、しばらく熊本に行っていない。もう会えないなんて考えてもいなかったから、コロナが落ち着いたらすぐに行こう!なんても考えていなかった。会えることが当たり前だとすら考えていなかったくらい、当たり前に会うつもりだった。

ラグビーワールドカップの仕事を通じていただいたご縁の中で人生で会い続けたかった人をこれで4人も失った。しかもそのうちの2人が熊本。すべてが突然のことで、会えないなんて考えてなかった中でのお別れで、整理のつけようがない。

開催前のテスト運営用の試合、機運醸成用の試合、大会本番での試合、熊本のスタジアムにはいつも汗をかき、声を出し、率先して動くお姿があった。
2015年3月2日にダブリンで、12開催都市を発表した直後に僕が電話したのもこの方で、「決めましたよ」「ありがとう!忙しいだろうから切るよ。ありがとうな」の5秒程度の会話で何か全部伝えられ、伝えてくださった気がしたし、熊本での大地震の際にも、こちらが心配しているのに「大丈夫、スタジアムは絶対大丈夫にするから、とにかく熊本開催を大丈夫にするから、大会に迷惑はかけないから」、とこっちに気を使うことが先で、僕が組織委員会を去る時にも一番必要な声をかけてくださり、そして大会本番時には、もはやラグビーの仕事を離れていたのに、チーム熊本の一員として試合、そして大会後の納会にまで呼んでくださった方とこんな別れ方をしてしまう事はどうにも整理はつかない。

ラグビーワールドカップの仕事では本当に全国、世界各地でお世話になった方がたくさんいる。その中でも、この方には、僕が国内での認知率がほぼ無かったに等しいところから始まったこの大会での僕の仕事の意義を教えてくださった1人だと思っている。

当たり前のものなど無いと、厳しい形で味わって、少しはわかった気でいたけど、やはり何もわかっていなかった。当たり前のことなど何もないことをまた感じざるを得ない。もう少し、柔らかく、優しい手段で学びたかったけど、もう、お会いできないことは変えられない。

Digitally born

息子くんのバスケットボール活動がほんの少しずつであるが再会の目途が立ってきた。その準備として、男女のHCと最上級学年の選手達とのオンラインミーティングが開催された。

趣旨は、選手達から今年のチームとしての目標や取組みをまとめて、コーチ陣に伝え、アドバイスを受けるため。選手たちはこの会議に向けてコアメンバーが何度か集まって間あげをまとめ、その後、ミーティングの日程が決まってからは子供たちのみでオンラインで、3回の事前打合せを実施して、本番を迎えた。

事前&本番のオンラインミーティングを子供たちは見事にこなしている。僕が、半年前に急にZoomなるモノでのミーティングを余儀なくされた時のぎこちの無さは誰からも感じられない。ミーティング中に1人の音声が途切れた。機材の不具合らしい。一部の子どもたちはキャッキャッとはしゃぐが、数人はすぐに「チャットで呼びかけてみて」とか対応をし、中にはすぐに不具合が起きた子へ携帯をつないで、自分の方の音を聞かせて、「会話はできるから会議は続けられる」と。

生まれながらにしてデジタル環境への適応能力と瞬発力を持っている世代が現実にいるのだ。ちょっと前までは興味や努力の差でデジタル活用力や成熟度が変わっていたのだと思うが、ついにNatural born Digital族が出て来たことを実感した。

 

この、子ども達の能力、レベルを見せられると、積み上げていたはずのコーチングの常識や慣例が綿毛のように軽く飛んでいく。今までの器の中でモノを考えていたのでは、この子たちに気づきや好奇心を与える事はできない。

またもや子供たちから教えてもらう。子育てが親育ての要素の方が大きいと感じるように、コーチングも選手からの導きの方が多い。

だから続けられるし、続けたいと思える。

選択/決断の時が近づく

コロナ禍は続く。

コロナ明けの事をずっと話し続けているが、息子くんのクラブ活動は2月中旬の練習を最後に未だ再開されていない。

200日間スポーツからはなれている事実。クラブ活動のみならず、学校も、放課後も、生活も、小学校最後の年にあるべき感情の起伏を経験しないまま、半年が過ぎていく。

クラブ側はコロナ対策に行政から求められることをこなそうとするので、地域、保護者によるボランティア運営では到底対応はできない。それだけではない、体育館スポーツだから余計に難しい。行政管理の区民センターなどは貸し出しているが、所属クラブの拠点である学校の体育館は外部への貸し出しはまだ行っていないところも少なくない。

そんな中、緊急事態宣言も解除され、学校も授業だけは徐々に元に戻り、大人たちの社会も変化はあるものの、毎日のように会社へ通う日々が戻りつつある。

自粛明けから野球やサッカーは再開が少し早かった。しばらくすると周りのミニバスケも戻った、まだ戻っていないという話しが聞こえ始めた。そして短い夏休みを経て、息子くんのクラブ活動は再開されないまま、今日に至っている。

 

9月、最終学年も後期に入り、中学校の事もそろそろ視野に入れていく時期が近付いてきた。もちろん受験をする子であればはるか前から中学の事は考えているだろう。でも息子くんは友達と学校を楽しみ、バスケに打ち込み、地元の中学校(幸いにして、近隣学区で選択肢がある可能性がある環境)の中から進学後のバスケも一つの軸として選んでいきたいという意向が早くから決まっていたのでこのタイミングからの調査、選択で十分だ。しかし、バスケの軸は失っているも同然。

11月末頃には本人が方向性をつかんでいる事が望ましい。そう考えると約90日間で選択肢の準備、検討を行なう必要となる。

コロナ禍で200日強が過ぎていった。そして放っておけば流されていく90日間で息子くんには色々と考えてもらいたい。

今後、コロナが脅威のままであろうが、ただの季節の流行病になろうが、人生には選択、決断はついてまわるし、時間は皆に平等のままである。

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