子育て=親育て(半学半教)RD2994’s diary

息子へ伝えたいこと、自分に残したいことを、人生初めての日記

learning the hard way

今朝目覚めて最初に目にした情報が、熊本の大恩人の訃報だった。

「熊本でラグビーワールドカップ、やりたいな。でも九州には福岡があって、2002年での経験がある大分があって、スタジアム改修したばかりの長崎があって。。。でもやりたいな」
「じゃあ、やりましょうよ。本気でやりたいことはやれないわけないですから」
といいうのが出会って間もないころの会話。
RWC2019では、2002年やそれ以外のスポーツでの日本開催の大会との差別化するために(差別化しないと誰にも見向きもされない可能性があった)、九州に3つ開催地を置くことは、これまでの全国開催の概念としては新しい、九州であれば周遊観光での経済効果を生みやすく、スポーツ×観光で、国際スポーツイベント誘致の意義を示すこともできるとは考えてはいたので、軽口で言ったつもりはないが、熊本がやれるというイメージよりも、知り合ってまだ間もなかったけど、この人と仕事がしてみたいという感じでの発言だったと記憶している。

大先輩なのに、いつも場を明るくし、率先して動いてくれてしまう。僕がチカラになれたモノの数百倍も、数百回も、上回って手伝ってくださり、励ましてくださり、愚痴に付き合ってくださり、そばにいてくださり、とにかく、熊本に足が向く最大の理由だった。
出会いから1年位経ったら「お前はもう熊本の人間だから!」と笑顔でいつも仲間に入れてくださり、組織委員会の公式な会議などで、当時のスーパーボスから度々「こいつは、熊本びいきですからw」と紹介(冷やか)されることすら誇らしくも思っていた。

そんな方ともう会えないかと思うと心に何も浮かんでこない。
コロナだから、と、しばらく熊本に行っていない。もう会えないなんて考えてもいなかったから、コロナが落ち着いたらすぐに行こう!なんても考えていなかった。会えることが当たり前だとすら考えていなかったくらい、当たり前に会うつもりだった。

ラグビーワールドカップの仕事を通じていただいたご縁の中で人生で会い続けたかった人をこれで4人も失った。しかもそのうちの2人が熊本。すべてが突然のことで、会えないなんて考えてなかった中でのお別れで、整理のつけようがない。

開催前のテスト運営用の試合、機運醸成用の試合、大会本番での試合、熊本のスタジアムにはいつも汗をかき、声を出し、率先して動くお姿があった。
2015年3月2日にダブリンで、12開催都市を発表した直後に僕が電話したのもこの方で、「決めましたよ」「ありがとう!忙しいだろうから切るよ。ありがとうな」の5秒程度の会話で何か全部伝えられ、伝えてくださった気がしたし、熊本での大地震の際にも、こちらが心配しているのに「大丈夫、スタジアムは絶対大丈夫にするから、とにかく熊本開催を大丈夫にするから、大会に迷惑はかけないから」、とこっちに気を使うことが先で、僕が組織委員会を去る時にも一番必要な声をかけてくださり、そして大会本番時には、もはやラグビーの仕事を離れていたのに、チーム熊本の一員として試合、そして大会後の納会にまで呼んでくださった方とこんな別れ方をしてしまう事はどうにも整理はつかない。

ラグビーワールドカップの仕事では本当に全国、世界各地でお世話になった方がたくさんいる。その中でも、この方には、僕が国内での認知率がほぼ無かったに等しいところから始まったこの大会での僕の仕事の意義を教えてくださった1人だと思っている。

当たり前のものなど無いと、厳しい形で味わって、少しはわかった気でいたけど、やはり何もわかっていなかった。当たり前のことなど何もないことをまた感じざるを得ない。もう少し、柔らかく、優しい手段で学びたかったけど、もう、お会いできないことは変えられない。