子育て=親育て(半学半教)RD2994’s diary

息子へ伝えたいこと、自分に残したいことを、人生初めての日記

【RWC2019を振り返る 業務編 ~組織委員会での日々①~】

RWC2019は当初の予想を見事に裏切り、世界中のみならず、日本全国まで巻き込んで盛会で幕を閉じた。ラグビーだし、日本以外の世界では盛り上がる。なので、国内をどうするかをよく考えていた日々が懐かしく感じる。
2009年からラグビーに仕事で携わることが始まった、アジア5か国対抗、パシフィックネーションズカップ、そして、ブレディスローカップなど、テストマッチ(代表チームの公式戦)を中心に関わらせてもらっていた。
そんな中、RWC2019へは、2011年の5月に当時のラグビーフットボール協会の会長に面接をしていただいたことからすべてが始まった。
それまでの人生であんなに緊張したことは無い程に緊張した。一か八かの勝負で、一瞬見えた会長の携帯の待ち受け画面の内容を口下、教育旅行をやっていた経験が役に立ち、会話をつないだ。


そして、2011年7月から組織委員会の3人目のメンバーとして出向。
初日を良く覚えている。組織委員会として自治体や都道府県ラグビー協会関係者を集めてRWC2019の説明会を秩父宮に隣接する会場で行なった。同時に秩父宮では日本代表vsサモア代表の試合。出向元の仕事で、サモア代表のチームサポートをしていて、初日から試合と説明会を掛け持ってドタバタしたことが、そんな前では無いように感じる。


業務後にチームホテルに戻ったら、チームマネジメントと選手数人が口々に「今日はRyoが一番ハードワークだったな(笑)」と次から次へとバーでビールをおごってくれた。気持ちの良い連中だった。

 

組織委員会ではラグビー関係者にも認知がされていないこの大会をどうするべきか相当悩んだ。ラグビーワールドカップで出場するチームへの練習グラウンドの提供に興味が無いか?と話しに行ったら、毎週土曜は地元の高校生とOBチームに貸し出しているから無理、と断られたこともあった。。。。。
自治体とアポイントを取る時に、‘ラグビー’ワールドカップと言うと会ってくれないので、ワールドカップとだけ言って、なんとかアポにこぎつけようとしたことも懐かしい。打合せで、開口一番に、「ラグビー!?サッカーじゃ無いの?じゃ、ダメだ!」と何回言われたかも覚えていない。しばらくしたら、慣れっこになってしまった。


その内、次のサッカーワールドカップが日本単独開催される際には、RWC2019の受入れ経験の有無がネックになったりして?その様なことをサッカー関係者が言っていたことを聞いたかも知れない、と言う噂を聞いたようなことがある(サッカー関係者さん、ごめんさない。断言はしてません)、とか、ゴニョゴニョ言いながら、とにかく必死に食い下がった。今考えても質の悪い、営業だ。でも、それ以外の手は見つからなかった。予算、人手、知名度の全てが無い上に、2011、2012年頃に2019年の話をしているのだから、相手にされなくても当然と言われれば当然だが、こっちはブリンカー(視野を制限する道具)をつけられた競馬馬のように真っすぐ走るしかなかった。

 

何か月も苦行の様な堂々巡りをしている中、徐々に潮目が変わってくれて来た。
それは全国のラグビー都道府県関係者のチカラ。まずは熊本、宮城、愛知と始まり、北海道、茨城、静岡、新潟、長野、兵庫、高知、長崎などなど、拡がっていき、数えられないほどの都道府県協会の関係者がチカラを与えてくれた。とにかく、感謝しかない。
この頃から、細かい努力が実を結び始め、種火になる程度の自信と根拠のない開始都市がラグビーワールドカップで盛り上がるビジョンを自分の中につくっていった。
ここままで来るのに2年が過ぎていた。