子育て=親育て(半学半教)RD2994’s diary

息子へ伝えたいこと、自分に残したいことを、人生初めての日記

【RWC2019を振り返る 業務編 ~組織委員会での日々④~】

2015年3月2日、ダブリンでの会議を経て、RWC2019の開催12都市が発表された。その瞬間に3つの候補の落選が決まった。組織委員会のマネジメントはこのフォローもしっかりと行なった。だからこそ、決定後も協力をいただきながら大会の機運醸成が出来た。

 

決定後は順風満帆で、と書きたいところだが、予想通りそうでもない。
2015年の春以降は主催者も目の前のRWC2015イングランド大会に全労力を捧げざるを得ない。RWC2019組織委員会としては前大会への視察の準備、そもそも、この大会のリアルを見ていただくために過去大会よりも早く開催都市を決定したので、開催都市メンバーとの視察も計画した。


この実施も、チームが見事に実行してくれた。ラグビー日本代表の活躍もあり、12開催都市関係者の中に、少しずつ期待感と自治体を超えた連携が生まれ始めた。


実は開催都市決定後程なく、開催都市連携会議を始めた。目的はネットワーキング。このアイディアに乗ってくれ、難しい口火を切って(初回を受入れて)けれた東大阪にはとても感謝している。

 

国内での連携は徐々に進んでいく中、RWC2015の記録尽くしの成功を受け、主催者の日本大会への目も厳しくなり(期待の裏返し?)、自治体と主催者との間を調整するので精一杯(実際には足りていない)の日々が過ぎた。

 

日本のやり方、日本の行政の在り方、主催者(西洋)が重視する内容なその進捗が見たいタイミング、当たり前だけれどかみ合うはずがない。お互いが本気でRWC2019を良くしたいと思っているからぶつかる。その中で、勝ち取るところは勝ち取り、譲るところは譲り、融合させられるところは縫い合わせることを努めた。
記憶では8:1:1位でぶつかり合いだらけだったけど(苦笑)。まぁ、ラグビーはコンタクトスポーツだから仕方がないという、意味のない納得をして進むしかなかった。

その結果、組織委員会自治体との関係も深まって行った。


RWC2015での日本代表の活躍を受け、一時的にラグビーへ注目が集まったものの、(分かっていたことではあるが)常に何かの話題にあふれているこの国では、すぐに別の話題が取って代わり、人気の定着とはいかなかった。
RWC2019は盛り上がらない?チケット売り上げが心配、世界レベルでのラグビー大会の受入れ経験がない会場は設備や芝への不安、などなど主催者側の要求もより現実的に、厳しいものが出て来るようになった。


各会場、開催都市での調整が進む中、最後の最後まで、主催者の定める基準を満たす会場のみに絞り込むという案、空気はいつまでも消えなかった。


この不安は2017年11月に発表された試合スケジュールの最終検討が12会場で行われていることを確認するまで、個人的には続いていた。主催者からのスケジュール案を見た際に、他は何処で誰が、特に日本代表のことを見ている中、12会場があることを指で確認してようやく安堵したことを思い出す。

 

今大会、開催都市では話題性のある釜石市や日本代表戦の会場、人気試合が集まる東京と横浜などが注目されるケースが多かった。もちろんそれは普通のことであるが、改めて、この12開催都市(19開催自治体)の連携でなければ、この大会の空気は生まれなかったと思う。どこかが突出して盛り上がり、後についていくという事ではなく、日本開催というチームの中で個々の自治体が自分のポジションを全うした結果、この大会が生れたと思う。もちろん役割を全うしたのは自治体だけじゃない、主催者、組織委員会、チーム、キャンプ地、協賛企業、そしてファン(Oldもにわかも)もみんなが全うし、生まれた成功だ。