子育て=親育て(半学半教)RD2994’s diary

息子へ伝えたいこと、自分に残したいことを、人生初めての日記

お祭りの第一部は終幕

つくり出されたような大団円の中、閉会を迎えたようにも見えたが、大会としてはしっかりと開幕し、閉幕した。

アスリートには様々な負荷があったであろうが、自己実現する機会が得られたことに喜んだ上で、その意味を噛み締めて欲しい。なにせ、世の中の子供たちは大会、発表会、修学旅行などメインイベントはおろか、練習や準備、夏休みの思い出作りすら取りあげられている最中の大会であったことは事実だから。

とは言え、アスリートたちの活躍には心を打たれたものも少なくない。そんな中、このスポーツイベントに関わっている人たちの中で目についてしまった残念なことがいくつかある。

 

まずは、メディアの準備不足。もしかして興味がない?と思えるようなレベルでの。

日頃からよく観ている競技だとはっきりとわかるのだが、アナウンサーが競技の表面的なこと(おそらく用意された教本の様なもの)がギリギリ頭に入っているか、いないか程度の知識の低さが目立った。開催が1年も遅れたので時間はいくらでもあっただろう。開催が決まったのは8年も前なのだから、興味が有れば少しでも身につけただろう、と思ってしまう。

新競技に関して、興味を持ち、一夜漬けでネットで勉強した自分の方がしっかり説明できる程度のもの(日本人選手個人の競技とは直接関係がない情報はアナウンサーの方が圧倒的に凄かったけど)もいくつか見受けて、これのレベルの低さは競技繁栄の妨げにすらなるな、と感じてしまった。

 

ちょっと別の切り口であるが、ある競技の準決勝を見事に勝って、その後にチームのHC(母国語が英語の方)が英語でインタビューを受けているのが流れた。この大会で有れば、公用語は英語、仏語だろうから、自然の流れだろう。

予期していなかったのか、同時通訳も入らず、もちろん字幕も出なかった。やりとりの内容はとてもシンプルなものであったが、インタビューの途中で映像が切れて、スタジオに戻った(HCのコメント、聞きたかった)。

そして、スタジオのアナウンサーの一言目が、インタビューが英語でした。すみません、びっくりしました。と!?

そして、元アスリートも含めて、いやー、全く分かりませんでした。アメージング、っていうところだけ聞き取れました。と、笑顔で発言。

国営放送で、この国の民度の低さをここまでアピールする意味があるのか?こっちがびっくりだ。

さらに話を逸らすと、日本のテレビでは良く外国語の発言に日本語の訳の音声を被せることが多い。時々後ろの英語がうっすら聞こえるので、録画しているものを何度か聞き返してみると、日本語の訳がかなりの拡大解釈によるもので、番組の流れには沿っているが、本人のニュアンスとは別物になっているものをしばしば見受ける。色んな意味で情けないメディア力だとかなり前から感じている。

 

そして、アスリートの中で個人の資質の差が出てしまった。無観客の中、当日に同会場で競技をしているもの同士が応援する姿は普通に見えていたが、大会終盤で自身の競技は終えて、まだ終えてない仲間の注目試合に顔を出しているアスリートがテレビに映るケースがあった。プロとしても活躍する有名な人物でもあるので、当然、カメラも画として抜く、それを呑気に、あっ、〇〇選手が応援にきてますね、と伝えるアナウンサー。

この競技には多くのファンがいる。会場で見たくて、チケット取ったけど無観客となり行けなかった人、チケット取れなかった人。自分たちの大会や練習は施設が貸し出してくれないなどの理由も含めて中止や延期になっている人。

仲間だから応援する、したい、気持ちは分かるが、自分たちが一生懸命にやっている競技を広めたい、アスリートとしてスポーツ、大会を通じて何かの発信源になりたい、と語っているなら、まずは自らの足元を見つめて、襟を正して、行動をして欲しかった。

アスリートは聖人君子である必要はないと思うが、負けていく、挫折していく、やりきれない思いをしている人の痛みをわかる人間であって欲しいと思った。