子育て=親育て(半学半教)RD2994’s diary

息子へ伝えたいこと、自分に残したいことを、人生初めての日記

棚にあげる

自分のことを棚に上げて、息子には道理や常識、理想を伝えなければならない時がある。

親であれば当然のことかも知れない。

親でなくても、先輩として、上司として、似た様な経験は誰にでもあるはず。

 

そして今、正にそんな感じ。

息子には大好きなバスケットボールを軸に自分を見つめ直して、立て直して、高みを目指して、全力で挑め、と偉そうな事を示している。

 

では、自分はどうか?

ここ数週間、仕事に全力を注いでいたか?、微妙だ。

しっかりと仕事はしている。。。はず。

だが、持つべき目標が定まらず、檻の中の動物の様に、徘徊し、壁に頭をぶつけて向きを変えて、また徘徊している。

 

所属組織には人的余裕はないので、基本自己完結。仕事を見つけるのも、さばくのも、次につなげるのも自分でやるのが前提。

つまり、スローインして、キャッチして、ドリブルで相手コートへ持ち込んで、シュートして、そしてリバウンドに入りながらもセーフティを考える。

無茶だよ!と思いながら、こんな事を息子には求めているのだとおもう。

二十何年も社会人をやっているので、見た目だけなら自己完結できている様には見せられていると思う。でも、見た目だけ。軽く差し込んでめくり返せば、一瞬で崩壊する。

 

人に求めるなら、自分でもせめて目指せよ!あがけよ!

そんな彼の声が聞こえてきそうだ。

 

ごもっとも。

今日は急な仕事が立て込んだから。梅雨のせいか、今日も腰や頭が怠いから。今日に限ってやる気がみなぎらないから。

言い訳ばかりはみっともない。やっていないわけでないが、全力でないから、自分に充実が生まれていないのかも。

見えていないから全力になれないというのは言い訳。少なくても息子にはそう教えてきたし、教えたのはそう信じているから。

 

やるべき理由は単純。

息子に見せたい、見てもらいたい姿は?

 

今年の後半戦は少し巻き返して、攻めに転じる必要がありそうだ。

 

どうせ自分のことを棚に上げて、息子とは向き合うのだから、せめてあがいている姿を棚に上がっているのを見てもらおう。