棚にあげる
自分のことを棚に上げて、息子には道理や常識、理想を伝えなければならない時がある。
親であれば当然のことかも知れない。
親でなくても、先輩として、上司として、似た様な経験は誰にでもあるはず。
そして今、正にそんな感じ。
息子には大好きなバスケットボールを軸に自分を見つめ直して、立て直して、高みを目指して、全力で挑め、と偉そうな事を示している。
では、自分はどうか?
ここ数週間、仕事に全力を注いでいたか?、微妙だ。
しっかりと仕事はしている。。。はず。
だが、持つべき目標が定まらず、檻の中の動物の様に、徘徊し、壁に頭をぶつけて向きを変えて、また徘徊している。
所属組織には人的余裕はないので、基本自己完結。仕事を見つけるのも、さばくのも、次につなげるのも自分でやるのが前提。
つまり、スローインして、キャッチして、ドリブルで相手コートへ持ち込んで、シュートして、そしてリバウンドに入りながらもセーフティを考える。
無茶だよ!と思いながら、こんな事を息子には求めているのだとおもう。
二十何年も社会人をやっているので、見た目だけなら自己完結できている様には見せられていると思う。でも、見た目だけ。軽く差し込んでめくり返せば、一瞬で崩壊する。
人に求めるなら、自分でもせめて目指せよ!あがけよ!
そんな彼の声が聞こえてきそうだ。
ごもっとも。
今日は急な仕事が立て込んだから。梅雨のせいか、今日も腰や頭が怠いから。今日に限ってやる気がみなぎらないから。
言い訳ばかりはみっともない。やっていないわけでないが、全力でないから、自分に充実が生まれていないのかも。
見えていないから全力になれないというのは言い訳。少なくても息子にはそう教えてきたし、教えたのはそう信じているから。
やるべき理由は単純。
息子に見せたい、見てもらいたい姿は?
今年の後半戦は少し巻き返して、攻めに転じる必要がありそうだ。
どうせ自分のことを棚に上げて、息子とは向き合うのだから、せめてあがいている姿を棚に上がっているのを見てもらおう。