子育て=親育て(半学半教)RD2994’s diary

息子へ伝えたいこと、自分に残したいことを、人生初めての日記

土台は後からは造れない

COVIDー19を通じて実に多くの人生の初めての、今までの概念の覆しの経験をしている。

50になろうとしている僕ですらこうなので、まだ12の息子くんへの影響は大きいと考えている。

12歳、小学校最終学年、思春期、反抗期への入り口。本来なら学校生活、課外活動、家のこと、クラブスポーツの日常から様々な事を吸収、反発して、嬉しさ、悔しさ、気付き、苛立ち、無関心、好奇心、様々なことをしっかりと味わって欲しい時期だ。

でも、12歳の出だしは、世界がそれを許してはくれないことになった。

彼が大人になった時でも世界はこのことを振り返るだろう。日本人は何かにつけて名称をつけるのが好きだから、その頃にはコロナ世代とかつけられているかもしれない。僕を含めてみんながあの時は大変だった、びっくりした、大きく変わった、などと毎年のようにこのような話を繰り返すことだろう。

当然、息子くんたちを含む、2020年の今、学生だった世代も、かわいそうだったね、大変だったね、と何度も労われることになる。

でも、人生のしかるべきタイミングで日常が送れなかったのはCOVIDー19のせいで、みんなは被害者だから、望んだような人生を与えてあげよう、仕事ができなくても我慢して会社で雇って、給与を与えてくれるように社会は変化するだろうか?

 

なる訳は無い。  と思う。

 

今も、未来も社会は寛容ではない。自然界でも個々の事情はどうあれ、ダメなものはダメとなる。動物も弱っているときに命を狙われて、待ってくれとは言えない。個々は弱いが数の力で天敵を排除する習性に対して、卑怯だ、不公平だ!などとは言われない。動物の世界も我々の社会もそんなには差がない。

どんな状況でもやっている奴はやっているし、先を見ている奴は考える。考えて工夫をすれば何事にもやれること、やり方は必ずあるものだ。

本当にやりたいことなら、必要だと思っていることなら、何度失敗しても自分からやり方を見つけるはず。人から与えられて動くというのは、何となくでは重要なこと、みんなが正しい、必要だと言うことだから、やらなくてはならないこと程度に考えてるだけであろう。

 

COVIDー19の影響を息子くんの日常は真正面からこれ以上が無いほどに強く受けている。同時期に突然の別れや引っ越しなど家族での大きな出来事もあったので最初のうちはバランスが取れていないことをさほどは心配していなかったが、学校が少しづつ再開され、でも日常が戻った訳ではなく、そんな最近を息子くんは飄々と毎日を暮してしまっている。

日常という、本来は最も注目されないものに形が変わってしまっている中で、持ち前の器用さで、何事もなくただ流されるように過ごしているように見えてしまう。

12歳、人生の土台となり得る日常が過ごせるタイミングは人生で1度しか無い。ここの土台が、teenagerとしての土台造りにつながる。

もちろん幼少期の土台が今につながっているのだけど、これは親がつくれるもので、本人にとっては初めての土台造りのタイミングに自覚、葛藤できていない状況になっていることが気になる。

 

この土台は人生で今しか、自分でしか、周り個々人の変化が激しく無いと造りづらいものだと思う。ただでさえ平準化されてきている世の中な上、COVIDー19にてさらに難しい環境となっている今を簡単に乗り切っては欲しくない。