やはり、基礎と継続
世の常だ。
普遍的な常識はやはり何事においても正しい、
でも、それを成すには努力、つまり心の強さが必要だ。
今日は改めてそれを感じざるを得なかった。
基礎トレーニングの時、たまたま契約選手(それっぽく書いてみる)の2人が横並びになったので、自然に比較してしまう。片方は息子くん、もう片方は同学年の選手で、トレーニングメニューを2ヶ月前程度から提供している。
基本的な運動能力は元々近い2人。いまも多くのポイントで近いものがある。
しかし、昨日目にしたのは、明らかに改善している選手とまだ伸びてきていない選手。
トレーニングメニューをつくるにあたり、彼の事を集中して観察した時期に気がついたのは、動作中のバランスの悪さ。なので、まずは前後のバランスを取るためのメニューを入れた。
僕はバスケットボール未経験だが、ぶつかることが前提のラグビーでは体のバランスは重要。特に僕みたいな小柄な選手にとっては体重差は凶器として使われるから、それに対抗するには知恵とバランスとスピードしかなかった。
今のように体幹トレーニングなんて知らなかったが、やっていたことは全く一緒だ。
彼は体の成長期真っ只中であるので、考慮してメニューを作った(つもり)。
昨日の練習で目を見張ったし、ちょっと嬉しかった。もちろん自分のトレーニングメニューがどれだけ貢献したのかなどは分からない。でも、2ヶ月足らずで彼は明らかにステップアップしている。これは、トレーニングを続けてくれていることのように僕の目には映った。
息子くんの方は、細心の思いと知識を込めてトレーニングメニューを書いた。当たり前だ。何故なら他ならぬ息子くんのものだから。
そして、今日まで、どの程度実施しているかも知っている。
基礎の重要性を語る人は多い。ハウツー本とかでもよく出てくる。基礎なんて誰でも言える、誰もが分かっていることである。でも、ここまで繰り返されるのには理由があるはず。
重要、成すのが難しいだけではなく、人の目から見て、身についている、いない、の差が明らかなものだからこそだろう。誰でもできる事を、やるべきときにはやるから、という奴ほど何もできない奴だ。子供が見る可能性がある環境で、平然と赤信号を無視する大人の歩行者のようなものだ。僕の周りにも、残念ながら悲しいほど多い。
誰でもできる事を地道に継続し、基礎を固めるからこそ、真似が難しい事を成し遂げる術を身につけられるのだと思う。
基礎と継続の中にはとてつもない可能性が眠っているのだ。選手たちには自分の華やかな活躍を夢見るからこそ、基礎と継続に重きを置いて欲しい。陽が当たるから伸びるものばかりではない。陽が当たるまでに、誰も見ていない土の中でしっかりと基礎を固められたからこそ、陽が当たる場所でもしっかりと自分の道をつくって成長していくのだ。
誰でもが、何でも、インターネットやテクノロジーで出来るようになる世の中だからこそ、この地道な基礎を追求して欲しいとおもう。
普遍的な常識、
努力は裏切らない。
のである。