子育て=親育て(半学半教)RD2994’s diary

息子へ伝えたいこと、自分に残したいことを、人生初めての日記

それでも時間は過ぎていく

暑い日が続く。今年の夏はついに、日本のどこかでは予報で40℃!と聞くことに慣れ始めてしまっている。
COVID-19を騒ぎ始めた時は未だ寒さが残る季節であった。あれから180日あまりが経っているので季節が変わる事は当たり前なのだが、世の中が大きな変化の渦の中、日々の暮らしはシンプル、単調になっているので変化には気づき難くなっているのかもしれない。

息子くんも、短い夏休みが明けて今日から2学期に入った。1学期はコロナ禍を騒ぎ倒して、対応に追われ、振り回されて、終わった。バスケットボールの練習は1回も実施できなかった。自主トレーニングらしきものも無かったのに等しい。

180日間を振り返ると何も積み上がっていない、毎日をくり返していたような生活であったのでは?と心配になる。

元気に学校に行き、宿題や習い事の最低限の事は(おそらく)他人より速くこなして、毎日、元気に地元の公園などで夕暮れまで友達と遊んで帰ってくる。家の手伝いもやって(言えば何でも手伝って)くれる。これで、十分なんだろう。十分どころが、良く出来た息子で、親としてはハッピーである。

でも、本心ではそうは思えない。何も積み上げて行かない、壁にぶつからない、逃げも隠れもしない、普通にまっすぐ歩いていくだけで、teenagerへの入り口を過ごしてよいのであろうか?

あと半年で中学生になる。本人は地元の公立中学校を選ぶつもりのようだ。バスケットボールを続けていきたいので、バスケットボール部の環境が良い所へ進学したいとの希望はあるようだ(でも、これも5年生の後半から言っていたことで、その時の方が熱があったように思える)。しかし、本当にバスケットボールを(一つの)指標にして良いのか?と横から見ていると思ってしまう。

約180日間、学校も不規則であったので1日の内に本人が自由にできた時間は4,5時間はあった。4時間×180日間=720時間の内、息子くんがバスケットボールのために使った時間は恐らく20~30時間(1日に換算すると10分未満)にも満たないであろう(恐らく友達と公園でバスケもどきをやった時間を入れたとしても)。

対して、ゲームやテレビ、マンガに費やした時間は少なく見積もっても500~600時間以上(自由ではない時間にまで食い込んでやっているので)、であろう。そう考えると、自分の人生の分岐点であることを、それしか興味の無い事を指標にするのは本人は幸せになれない気がしている。テレビやマンガの趣味が合う仲間が行く中学に進んで、その輪を広め、深めて行った方が息子くんには幸せなのでは?と思う。

最後に決めるのは本人であるが、人からの見た目を気にして、決めるために必要な情報収集や分析を間違えないように見守り、サポートする必要がありそうだ。

 

ちょっと、複雑な気持ちではあるが、今回は本当に見守り、息子くんに考えてもらい、決めてもらう、事が重要だという事をくり返し噛みしめて、今回は話し合いではなく、ノートをつくり、文章で伝えていくようにしようと考えている。

会話(口頭)だと、その場での想いを、圧をかけて伝えてしまう事が多い。こちらの価値観を押し付けているだけのことに気が付き、訂正しても、その時には息子くんの中に「(親の)正解」があり、その正解を最低限こなしておけば。。。。というマインドセットになってしまう。そんな過ちをしないように、ノートに伝えたい事を書くためには、下書きして、読み直して、余計な事を削いで、まとまったから書けば息子くんへの悪影響は最小限に抑えられるはず。

あと、息子くんとノートを交換する、っていうのもちょっと嬉しいし。

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